2019.04.02(火)
東京都・葛飾区 3:00PM 曇りのち雨 13℃ (寒い)


昨日、5月からの新元号の発表があった...。

新元号「令和」
新元号「令和」



2014年6月19日の採集記の冒頭でも触れているが、2014年2月に大きなアクシデント(病)に見舞われてしまい、それから丸4年の月日が流れ、昨年5月末に“大きな奇跡”によって1つの壁を乗り越える事ができた。しかし、その4年間は本当に大きな試練の連続であり、生活環境も随分と変わってしまい、結果的に「へっぽこ採集記」としても採集記の本数が激減してしまった。それ程つらい病魔との闘いであった...。昨年の5月末に大きな山は越えたが、それで全てが解決した訳ではないので、魔琴としての戦いは、これからも続く...。


・・・そんな2014年から2018年の4年間であった。





窓の外を見てみると、曇り空の様である。とりあえず雨は落ちてないので、外出を試みようと身支度を整える。

窓の外を見る
窓の外を見る



昼食がまだだったので、最近お気に入りの店に行ってみる。「特製つけめん」をオーダーする。「特製らーめん」も美味いのだが、個人的には「つけめん」の方が気に入っている。・・・私が学生時代から40歳近くになるまで、この場所は冴えない立ち喰いそば屋が入っていたのだが、その後こんな美味いラーメン屋が入るとは思わなかった。

麺心 國もと
麺心 國もと



昼食後、店を出てしばらく歩くと桜が満開であった。5月から新しい元号になるのであれば、今見ている桜は“平成最後の桜”という事になる。

平成最後の桜
平成最後の桜


更に歩いて河川敷に到着する。目の前には「矢切の渡し」がある。細川たかしの歌で有名であり、子供の頃から何度も乗ったことのある渡船である。個人的には、この江戸川の河川敷は矢切の渡しというより、『男はつらいよ』の方がイメージが強く、小学生の少年野球時代に秋口になると正月映画の撮影現場を何度も見学し、金町から柴又まで土手を歩く寅さんの姿を何度も見た記憶がある。

矢切の渡し
矢切の渡し
(別日に撮影)



その後、目的地に向かう。社会人になって草野球チームに所属する事になり、小中学生以来、毎週末この河川敷に通う様になって、今から10数年前に野球グランド近くにビオトープの様なものが出来て、ヤナギの幼木が生え始めた。

目的地
目的地



それ以来、数年置きにこのヤナギをチェックしており、「いつかはコクワ辺りが付くのではないか...。」と期待している。年々ヤナギは大きく成長しており、今回も樹液痕を確認する事が出来た。しかし、残念ながら今回はクワガタの姿は確認できなかったが雰囲気は充分に感じられる.。・・・因みに先ほどの矢切に渡しの対岸は千葉県の松戸であり、土手から1kmほど「矢切ねぎ」などの畑が続くのだが、その先に結構大きな林が続いており、以前そこでコクワも確認している事から、そこからこの場所に飛来する可能性も感じている。

良い感じのヤナギ
良い感じのヤナギ



また、葛飾区北部の埼玉県との県境に存在する水元公園は確実にコクワは生息しており、小学生の頃、コナラの樹液に付くコクワ♂の存在や社会人になってからもコクワの存在を確認している。ならばもっと“へっぽこ採集記”に登場しても良いのではないかと思われるかも知れないが、何年か前に夏場に夜のウォーキングがてら水元公園を散策してみると、数多くの親子連れが懐中電灯片手にクヌギやコナラを確認して回っている状況を見て、“大勢で競争して、早い者勝ち的な採集”は苦手なので、自宅から近場ながら個人的な採集地には入ってない。


先日、実家の父親(75歳)と話をしていて「昔、自宅前でオニヤンマを追い掛けていた。」と父が言うので「いつ頃の話か?」と私が聞くと“昭和20年代”の話であった。今では考えられないが、昔は東京23区内の葛飾区もかなり自然豊かな場所だったのかも知れない。




本日も何の成果も無い“へっぽこ”らしい採集記になってしまったが、これにて「平成」最後の探索は終了となる。改めて平成という時代を“へっぽこ”なりに振り返ってみると、数々の離島や海外にまで足を運ぶ“大航海時代”だったと思う。特に国内の離島に関しては、現在採集禁止になってしまった離島も数多くなってしまった為、“採集規制の掛かる前の採集記”を残す事ができたのは、個人的に有意義な記録になったと感じている。時間に余裕のある方は今一度「へっぽこ採集記」の目次一覧を眺めて頂ければ幸いである。

柴又帝釈天
柴又帝釈天



今回の採集記冒頭でも述べている様に、「平成」のこの数年は自身の病との戦いの連続であったが、「令和」という時代は「昭和」生まれの“へっぽこ”にとって、どの様な時代になるのだろうか...?


成績:ボ〜ズ

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